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子育てするなら新潟だ! 移住7年目、もうすぐ第1子誕生予定。学生、わが子とともにこの地で成長していきたい

2017.08.08 Tue

国際ビューティモード専門学校で事務局長を務める佐々木恭平さん。大学卒業後は東京で就職しましたが、その後、新潟へIターン。「頼りがいのある上司です!」と、スタッフからの信頼も厚い、福井県出身の佐々木さんが新潟での暮らしを選んだわけは? 営業マンとしてキャリアを積んだ後、専門学校での仕事を選んだのはなぜ?

大学受験で新潟に来たときは寒くて暗くて
絶対住みたくないと思った(笑)

生まれは福井で、実家は自営業。私は長男ですが、万事適当な家族で(笑)「好きに生きていいよ」と言ってもらっています。
初めて新潟に来たのは16~17年前ですかね、大学受験のときです。真冬で、この日がひどい天気で、寒くてどんより暗くて、「あーイヤだ、もし合格しても絶対ここには来ないぞ」と思ったくらいです。でもまあ、おかげさまで合格して、周囲に説得されて住んでみたら、ホントにいい場所でしたね(笑)。
とにかく人が親切。温かい。学校、アルバイト先、いろんなところで出会った人たちがいい人ばっかりで、充実していた4年間でした。初めのころは福井に帰省したりもしていましたが、後半はもう全然帰らなくなっちゃったほど(笑)。

ただ、私自身は飲食店のコンサルティング的な仕事にトライしてみたいと思っていたんですね。それで、就職はやりたい仕事第一、ということで、東京に行くことになりました。自分でも、あれをやっておけばよかった…といった後悔を残したくないので、5年間はやりたいことにチャレンジしようと決めていたんです。
5年間、営業をやって、これはこれで面白かったですね。やってみたい仕事だったし、ずっと続けてもいいな、と思うこともありました。でも、一方で、東京は、家庭を持って子どもを育てていく場所ではないだろう、と。満員電車一つとっても、こんな電車に子供を乗せて保育園に連れて行ったり、子どもが学校に通ったりするのかって考えただけでも、絶対無理! と感じたんです。学生時代から交際していた妻が新潟県人ということもあり、家庭を持つなら新潟だよね、ってことで、迷いなく新潟に戻ってきました。福井出身ですが、もうこのときは「戻ってくる」っていう感覚でしたね(笑)。福井という選択肢はなかった(笑)。インフラとかいろんな生活環境などを考えると、福井より新潟が暮らしやすいと感じていましたし、そんなわけで、新潟で結婚して家庭を持ちました。

新潟で求職活動中に考えた「社会貢献」
NSGで予感が確信に変わった

新潟で暮らすということは決めていたものの、仕事はまだ決めていませんでした。それまで東京でやっていた営業の仕事も嫌いではなかったのですが、一人当たりの売上ノルマを達成していくといった仕事が、どれほど世の中の役に立っているんだろう、なんてことを、求職活動をしながら考えるようになりました。そんなとき、NSGカレッジリーグに巡り合ったんです。

自分が営業マンとして世の中に貢献できてきたことは高が知れてるけど、自分が関わった多くの学生たちが社会に出て活躍したら、ものすごい社会貢献ができるだろうな、って思ったんです。私は教師ではないので、直接、学生を指導するという立場ではありませんが、募集をはじめ日々の関わりを通じて、若い人たちの夢や将来を育んでいける仕事なんじゃないかと思いました。勤めてみて、その印象は確信に変わりました。おかげさまで、今、非常にやりがいを感じながら働くことができています。

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