新潟? 昔と変わってないかな(笑)。 もっと外へ打って出ていけるよう、いろいろやってみます。

約1世紀半の歴史を刻むホテルイタリア軒。1Fのリストランテ・マルコポーロのメニューを一新するなど、“食と文化の発信基地”として、新たな取り組みにチャレンジしています。この老舗ホテルを率いるのが、井東昌樹社長。大学進学を機に新潟を離れて32年、故郷に戻り、経営の腕を振るう井東社長にお話を聞きました。

 

東京大学進学で新潟を離れ
銀行マンとなり多くの出会いを経験

「新潟の印象? 冬がずっと曇天(笑)。」
亀田生まれの亀田育ち。新潟高校に進学し、進路を考えたときに「新潟を早く離れて、冬、晴れるところに行こう」と決意したそうです。東京大学を志したのは高校2年の終わりころ。「どうせなら東大に行くか」。
それで東大に入れるというのもすごいことですが、「一浪はしましたよ。東京で(笑)」。

大学では東大応援部に所属します。
「実は、高校時代、陸上部を途中でやめてるんですよ。受験勉強のために、とも言えるけど、まあ中途半端なことをしたので、東大に入ったら、肉体的精神的に一番キツイところに身を置こうと決めていた。最初はボート部かなぁ、なんて思ってたんだけど、神宮球場に野球の応援に行って、そこで応援部に入ろうと決めました」。
失礼ながら、東大の運動部といえば野球部1勝するだけでニュースになるイメージが強いのですが、「僕が応援部にいた間、野球部は1勝しかできなかった。でも、みなさんが思っているほど全然勝てないチームじゃないんですよ」。

就職では、あちこちの企業にいる東大応援部出身の先輩たちが目をかけてくれ、結果的に三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に進むこととなります。

エリートコースの経歴を持ちながらも、気さくで親しみやすい雰囲気の井東社長。率直な話しぶりも魅力的です。

 

銀行員時代は主に営業に従事し、さまざまな経営者や経営幹部と出会います。
「上野支店とか池袋支店にいたんです。中小企業が多いエリアで、いろんな社長さんとお会いしました」。今も変わらず、思ったことはストレートに口にする井東社長。経営の相談に来る中小企業の経営陣を相手に忌憚のない意見を言うとあって、「ウチに来ないか?」と誘われたこともしばしばだったそうです。

海外勤務を経て転職
中小企業は面白い!

井東社長は都市銀行の出世頭として、28歳でシンガポール支店に転勤となります。1995年、シンガポールには日本の超一流企業が軒を並べていました。「バブル崩壊後とはいっても、超のつく日本の一流企業ってまだまだ元気だったんですよ」。

国際都市で世界的に有名な日本企業のビジネスマンと付き合う日々が続き、3年後に帰国。日本では中小企業の経営陣と、海外では大企業の経営幹部と対峙してきた井東社長は「中小企業は決裁が早くて面白い、経営にダイナミズムを感じる、僕の性に合ってる」と感じ、31歳でエリート銀行マンの道を捨てて、以前から「うちに来ないか」と声をかけてくれていた中堅どころのアパレル会社に入ります。折しも不況の真っただ中。それでも1年後には黒字を達成、さらに担当部門を優良部門に成長させます。
このアパレル会社を皮切りに、中小企業やベンチャー企業の企業再生、事業承継などのオファーを受けて手腕を発揮。それらの経験を基に書いた「小さな会社の幹部社員の教科書」(2015年/日経BP社)は、日経ストアのビジネス書売れ行きランキングで上位をキープし、版を重ねました。

母が倒れて泣く泣く(!?)新潟へ
これからはここで生きていく

2016年、辣腕ぶりを買われてビジネス研修などを手掛けるベンチャー企業にヘッドハンティングされていた井東社長は、その会社の上場に向けて奮闘していました。そして同社が東証マザーズに上場が決まった矢先、新潟の実家からお母さまが倒れたと連絡が入ります。
井東社長は、「両親のどちらかに何かあったら自分が家に戻る」と決めていました。いつかはその日が来る、と、覚悟はしていたものの、仕事も脂がのっている時期。「正直、帰ってくるのはイヤでしたよ(笑)」。
奥様も東京で仕事を持っているため、ご家族と離れ、単身での帰郷です。

久しぶりに戻ってきて暮らしてみた新潟は「昔とおんなじ、変わんねぇなって感じ(笑)。でも、もうここ(新潟)で暮らすと決めたから、このあいだ、ゴルフ場の会員権も買ったんだ(笑)」。
やると決めたら何事もスピーディーな井東社長は「新潟に戻るなら、地方創生に携われる組織に身を置こう」と決意し、NSGグループへの転職を決めます。
「NSGグループはいろんな事業を幅広く展開しているし、地域創生への理念を持っている」と感じたそうです。

2017年4月に入社。事業創造キャピタル株式会社の代表取締役社長を経て、2018年4月、株式会社イタリア軒の社長に就任することとなりました。

創業140年余の老舗、ホテルイタリア軒。創業当初はホテルではなく洋食屋でした。

 

老舗ホテルで新機軸にチャレンジ
いろんなことをやっていきたい

井東社長はイタリア軒での自らのテーマを「収益を上げること、そして、この老舗ホテルを新潟の食と文化の発信基地にすること」としました。その一環として、就任約2カ月で1Fの「リストランテ マルコポーロ」のメニューを一新、メディア各社を招いてお披露目会を行いました。「一言でいうと『原点回帰』。もともとイタリア軒は洋食屋としてスタートしたわけだし、『カレーを食べたい』っていう声も何度か聞いていたから。ミートソースを初めて日本に紹介したのもイタリア軒だって言われてるしね」。

マルコポーロのリニューアルについてメディアへのお披露目会で語る井東社長。

「新潟は他県と比較すると、実質賃金は低いんだけど、たいがい農家に親類や知人がいて米や野菜をもらったりすることが多い。しかも味がいい。食べていくのにあんまり困らない。データになりにくい部分では非常に豊かなところだと思います」。

 

伝統の洋食に加えて、地産地消をテーマに新潟県内市町村の食材を生かしたコラボレーションフェアも展開予定。現在開催中の阿賀野フェアに続き、今後、佐渡、村上、魚沼と、県内各地のフェアを開催していくそうです。また、この夏は世界各国のビールを取り揃えて楽しめるよう、準備を進めています。

文化という点では、「ガタケットと組んでコスプレ撮影会を開催しようと相談しているところ」だそうです。「地下を開放して、毎週、音楽イベントやってもいいなぁ。こないだ中澤卓也君のディナーショーをやったんだけど、長岡出身の中澤君とか琴音ちゃんとか、地元のアーティストも応援したいし……」と、アイディアや思いは尽きません。

「越後花魁体験 × イタリア軒 ご宿泊・レストランご優待キャンペーン」、古町芸妓×割烹 蛍での「老舗料亭の味と古町芸妓の舞」など、新たなプランやイベントも次々投入、お客様にメルマガを流すなど、発信にも努めています。

「ホテルは決して限られた人のための場所じゃない。例えばコスプレみたいなことをやることで、ご年配の人と若い人の結節点になれればいいな、と思っているんです。若い人が来てくれなければ、伝統は引き継いでいけないですから……あいつはいったい何やってんだ!? って呆れられるくらい、いろんなことをやっていきたいです」。

週末もホテルに顔を出すことがほとんどだという井東社長は、自称マネージングプレーヤー。率先垂範で自ら陣頭指揮に立っています。

「ホテルは多くの人が行き交う場所。新潟の中だけじゃなく、どんどん外にも打って出ていきたいよね」。
井東社長のバイタリティーと行動力が、老舗ホテルに、そして新潟の町に、新しい風を吹かせてくれるかもしれません。

〈ホテルイタリア軒〉
新潟市中央区西堀通7番町1574番地
TEL/025-224-5111 HP/www.italiaken.com

〈プロフィール〉
井東昌樹(いとう・まさき)
1967年新潟市江南区(旧亀田町)生まれ。新潟高校卒業後、東京大学に進学。在学中は応援部に所属。1990年三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。東京・上野支店や池袋支店などで法人営業を担当した後、シンガポール支店に転勤。帰国後、本部勤務などを経て、銀行時代の顧客であったアパレル企業に転職。赤字に陥った直営店部門の実質的な運営責任者となり、1年で黒字化を達成。2005年、経営不振に陥った上場外食チェーンに入社し、取締役として再生に奔走。2007年、会計事務所系コンサルティング会社の主席コンサルタントとして、上場不動産会社の再生支援などを手掛ける。2009年、人財育成や経営力向上のための研修・コンサルティングなどを行う株式会社インソースに入社。2010年、取締役営業本部長に就任し、「3年で売上高2倍」を達成。2011年、セミナー「中小企業のための経営幹部講座」を企画・講師としても登壇し、日経トップリーダーセミナーの人気シリーズへと育成。2017年、NSGグループに入社。経営企画本部、事業創造キャピタル社長を経て、2018年4月、株式会社イタリア軒社長に就任。
事業創造大学院大学客員教授。
著書に『小さな会社の幹部社員の教科書』(2015年/日経BP社/1,728円)。

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