移住3年目-広告業界からの転身 「東京で感じた地方の可能性に挑みたい」
東京都出身の荒川由晃さんは、生まれてから約35年過ごした東京を離れ、新潟にIターンをして3年目。
現在は、新潟市中央区にあるGIA新潟国際自動車大学校の事務局長として、学校の経営・運営面に携わっています。プライベートでは2男1女の父である荒川さんに、Iターン後の過ごし方や仕事についてお話を聞きました。
地方=保守的ではない
広告業界時代に感じた「地方の可能性」
東京では、商品ブランディングやマーケティング支援を行う会社に10年以上勤めていました。例えば、日本未発売の海外商品を国内でどう売り出していくかなどを企業の担当者を中心に、多くの企業とチームを組んで進めていました。
小規模の会社でしたので、若いうちからさまざまな案件のディレクションを任されていました。
20代後半からは首都圏以外のさまざまな地方でも仕事をしたのですが、最初は正直色々な戸惑いがありました。東京で成功したノウハウがそのまま通用するかというと、そうじゃない。地方ごとに異なる文化や気風を感じましたし、第一印象は保守的だなという土地が多かったです。
しかし、違いました。そこを打破できた時に、むしろ地方は反響がとても大きいということを体験しました。そんな経験から「地方商材の可能性は大きいな、面白いな」と、その頃から感じていましたね。
悩んだ3つの選択肢
「今しかない」と新潟移住を決意
妻が新潟出身で婿入りをしたこともあり、いつかは「新潟のご両親の近くで暮すことになる」と想定していました。それをいつにするかというのは具体的に決めてなかったのですが、私が35歳の時に今後の「働き方」について3つの選択肢を考え始めまして。このまま会社に残るか、東京で別企業に入るか、新潟で働くか。
「新潟で働く」というのは第三の選択肢だったのですが、新しいコミュニティーに飛び込むなら、遅くなるよりも今のこの時期の方がいいのではないかと思うようになり、Iターンを決意しました。
それから新潟での就職について調べているとNSGグループの求人を見つけ、多彩な事業展開に興味を持ち、面接を受けました。入社が決まって「新潟で暮らすのか…」と思うと同時に、米、朱鷺、スノーボード、あとは…?
今まで新潟の知識がほとんどなかったことに気が付きました(笑)
しかし移住して約2年半、印象も変わりました。住みやすさに驚いています。
住まいの近くに海岸があるのですが、穏やかで美しくて、子どもたちも喜んでいます。3人目の子どもは新潟に来てから生まれたのですが、所属する学校法人が出産・子育て支援に力を入れていることにも感動しました。