コロナをきっかけに変わった事

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新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、世の中が大きく変わっているわけですが、多聞に漏れず私にも以前とは大きく違う日常が訪れました。ウイズコロナの新しいスタイルに適応しながら日々懸命に過ごしていますが、今回はそんな中で感じている事、考えたことを書いてみようと思います。

出張がほとんどなくなった

私の日常の中での大きな変化としては、出張がほとんどなくなったという事。以前は週の半分くらいは出張で新潟を離れていました。緊急事態宣言以降数カ月のほとんどを新潟で過ごしています。こんな日々が訪れるとはよもや思ってもいませんでした。
オンラインでの打ち合わせや会議、会合へ参加する時間が業務に占める割合が増え、移動に使う時間が激減しました。移動時間なしで、連続して予定を組めるので一日でこなすミーティングの数は格段に増えたと思います。息をつく間もない時間が続くこともあり、これはこれで結構ハードではありますが、確実に業務効率がアップしました。

私自身はコロナ以前から、東京にいながら新潟のメンバーとミーティングをしたり、会議に出席したりするなどオンライン会議を活用していましたが、まだ対面での面会、会議のために集まるということが慣例で、オンライン会議ありきという状況ではありませんでした。
コロナ禍を受けて、社会全体に劇的な変化が起こりましたが、効率を高めるためにオンライン会議を選んだのではなく、対面の代替としてオンライン会議が普及しました。オンライン会議ありきで業務を進めてみると、そこから得られるメリットは非常に大きい事が分かりました。技術的には決して目新しいものではなく、全社的に導入可能であったものです。コロナウイルスによって、ICTを活用した業務効率化の推進が生産性向上にいかに重要かを改めて体験的に認識することができました。
社会全体がオンライン会議活用のメリットに気づいたでしょうから、仮にアフターコロナの世の中になってもビジネス習慣として定着することは間違いないであろうとも思います。

一見すると無駄な雑談から得られる情報も

感染リスクに注意しながら新しい生活様式の中で経済社会活動を回していく方向に社会が動き出し、私も最近は人と直接会う機会は少し戻ってきました。会議でも会食でも、人と会えば様々な会話を交わします。いわゆる世間話であってもそこに思わぬ発見があったり、何かと何かが結びついて発想が膨らんだり、一見すると無駄にも思える雑談であっても、その中から得られる情報というものも少なくないと改めて感じるようになりました。これは人と直接会うことで得られるものの一つと思いますが、当たり前の日常を一時的に失ったことで気付くことができました。
また改めて、膝を突き合わせて対面で人と会わなければいけないのはどういう時なのかという事に考えを巡らせました。それは、自分の思いを人に伝えたい時ではないかと思います。仕事にしても日常生活にしても、様々な節目があります。意気込みを伝えたり、期待の言葉をかけたり、思いを伝える場面では、古い考え方と思われるかもしれませんが、できれば直接人と会って話したいなとも思います。

本質的な事を忘れずに

とは言え、万能ではないとしてもオンライン会議は情報共有やジャッジの在り方を変えました。今回世の中に起こった変化はコロナの感染リスクを軽減しなければいけないという目的があって突然に起こりましたが、テクノロジーを活用して生産性を向上させることはビジネスの常ですので、早晩今のようなオンライン会議を活用する社会は訪れたのではないかと思います。
コロナウイルスは、私たちに大きな禍をもたらしました。それを克服するために知恵を絞り、様々な変革に取り組んでいますが、突き詰めて考えると、テクノロジー活用による生産性の向上はいつの世にも重要なテーマである事に何ら変わりはありません。ミーティングや会議に限らず、様々な場面においてテクノロジーを積極的に業務フローの中に組み込み、生産性向上に努めるという事が、いつの世においても取り組むべきことだと思います。
また、AIやIoTを活用することで業務効率が上げることができる部分と、人と人が直接接する事でしかできない事、得られないことがあります。テクノロジーの活用を推進する一方で、人間にしかできないことを考え抜き、そこに集中してくことが今後のビジネスを組み立てていく上で大切なことだと再確認しました。
社会の変化をしっかりと見極めると共に、本質的な事を常に忘れず、仕事に取り組んでいきたいと思います。