食と農を学ぶなら新潟だ、と言ってもらえるよう頑張ります!

今年開学したばかりの新潟食料農業大学。その準備段階から携わり、スタートへとこぎつけた陰の立役者の一人が矢田広視さん。現在は、同大学で事務局次長および学務課課長として勤務しています。長野県で生まれ育ち、大学進学を機に新潟へ。以後、いつのまにか30年近くを新潟で過ごししてきたという矢田さんに、胎内キャンパスでお話を聞きました。

学生時代から30年近く。
もはやIターンというより、どっぷり新潟人(笑)

新潟に来たきっかけは大学進学です。祖父が佐渡出身、祖母が大潟町(現・上越市大潟区)出身ということで、新潟はまんざら縁のない場所というわけでもなかったのです。とはいえ、それまで新潟で訪れていたのは海水浴で行く上越市近辺のみ。新潟市はまったく初めての場所でした。

最初は方言が少し怖くて(笑)。「○○しれて(しなさい)」とか、「バカ○○(とても○○)」とか、少し威圧的に感じたんですね(笑)。アパートの大家さんは、家賃を持って行くと食事をふるまってくれるような大変に親切な方でしたが、私が食べていると、「もっと食べれてー」「まだ食べなせ」と繰り返し言ってくる。最初のうちは、こんなに満腹になっているのにまだ食べ方が足りないと叱られているのか、と思い、少し怖かったのです(笑)。すぐに慣れましたが(笑)。
強いて新潟に来た時の違和感を上げればこれくらいですね。ほかは本当に居心地よくて、いつの間にか長野で過ごした年月よりもずっと長く新潟で暮らしています。だから、今は、「Iターン」って言われると何だか変な感じです(笑)。

長野で就活、内定もらっていたのに
なぜか新潟で就職

学生時代に頑張ったのはバドミントンのサークル活動とアルバイトです(笑)。コンビニのレジ、ティッシュ配り、ほかにも学生時代はいろんなアルバイトをやりましたが、中でも楽しかったのが塾の講師でした。NSGグループが運営するNSG教育研究会に週3~4回くらい通って、小学生、中学生を教えていました。

大学で4年、楽しく過ごさせてもらい、卒業後はやはり実家に戻った方がいいと考えて、長野で就職活動したら、学生の売り手市場だったんです。大して頑張って就活しなくても、知らない会社から「入社しませんか?」と電話がかかってくるほど。私も故郷の長野で内定をもらって、そこに勤めるつもりでいました。

ところが、塾の生徒の親御さんから「うちの子2年なんだけど、あと1年、見てくれるんですよね?」と言われて、期待に応えたくてついそのまま…(笑)。まあ、中学生は3年間で体も心も学力もものすごく大きく成長するので、自分自身の中にも3年間生徒の成長を見届けたい、という思いがあったと思います。
また、NSGグループ池田代表の話も刺激的でした。20年以上前から、地域づくり、地域を盛り上げなければだめなんだ、と語っておられた。それまでの就活で、そんな話をしていた企業の方は一人もいなかったのです。

それで、故郷の会社の内定をお断りして、NSGグループに入りました。1年経ったら、あるいは仕事がイヤになったら、いつでも長野に帰ればいいや、くらいの気持ちだったんですが、イヤにならなかったですねー(笑)。

仕事を通じて多くの出会いと学び、
そしてチャレンジに恵まれた

入社して講師から始まり、教室長になって塾の運営にも携わり、勤務地も古町、西区小針、豊栄、新発田、などあちこち回りました。震災からの復興応援ということで、長岡、柏崎の教室にも行きました。教室がどんどん増えていた時期で、多忙でしたが、この時期に妻と職場結婚をして子供も生まれるなど、公私ともに充実していた時期だったと思います。そして10年くらい経った頃、塾ではなく、NSGグループの事業本部に転籍を命じられたのです。

塾では子供たちや親御さんとの関わりが中心でしたが、事業本部ではそれまであまりお付き合いすることがなかった多くの企業、法人の方と出会うことができ、新たな気づきや学びに触れることができました。

私がちょうど40歳になったころ、池田代表に新潟食料農業大学への思いを伺う機会がありました。「食と農を追求する学問は新潟にこそふさわしい」と。私も大いに共感したのですが、「それならやってみないか?」ということで、仕事は大学設置準備室へと変わりました。

準備室、と言っても、最初はたった私一人の部署です(笑)。でも、この時に、それまでにいただいた多くのご縁に支えられました。現実的に大学を設置するには、人、モノ、金が必要です。教授や講師の先生方、用地や建物、備品、そしてお金、ゼロからのスタートでしたが、グループ内外のいろんな方の知恵とお力に支えられて、準備室のスタッフも増えましたし、どうにかこうにか5年で開学にこぎつけました。
開学したときは感無量でしたね。心の中で感動の涙を流していました(笑)。本当に多くの皆さまのご支援をいただき、今も感謝の思い、そしてご厚意に報いていきたい思いでいっぱいです。

 

地域にどれだけ恩返しできるか―
それがこれからのチャレンジ

40歳になった時、先輩に言われたことがあるんです。「40歳といえば男の寿命でいえば折り返し地点。昔でいえば初老。だから、これからは自分が得てきたものを恩返ししていくんだ」と。
振り返れば、NSGグループに入ったことで、私は本当にいろんな経験をさせていただいたんです。ちょうど、グループが大きく拡大していく時期と重なったということもあり、他にも本当にさまざまなことを目の当たりにすることができました。刺激的な毎日だったと思います。大変だったことは数限りなくあったと思いますが、それらが自分の中で血肉となっています。NSGグループ、新潟、長野……私を育ててくれた場所に、これからは恩返ししていく時期なんだな、と思いました。

私は長野から新潟にIターンした形になりましたが、今、娘が長野の大学に通っています。不思議なものですね。下の息子たちは、『お父さんのいる大学を見てみたい』と言ってくれて、一緒に見に来たことがありました。将来、子どもたちが「ここで学びたい」と思ってくれたらうれしいですね。

新潟食料農業大学は、食の新潟だからこその大学であると思っています。人はものを食べずには生きていけない。食は命の根本です。まだ、スタートしたばかりの大学ですが、いつか、「食と農を学ぶならやっぱり新潟だよね」と全国、世界の人に言ってもらえるような大学にしたいと思っています。まだまだ頑張ってチャレンジしていきますよ!

〈新潟食料農業大学〉
■胎内キャンパス
〒959-2702 新潟県胎内市平根台2416
TEL 0254-28-9855(代)
TEL 0254-28-9840(入試事務室)
■新潟キャンパス
〒950-3197 新潟県新潟市北区島見町 940
TEL 025-212-3301(代)
https://nafu.ac.jp/

〈プロフィール〉
矢田広視(やた・ひろみ)
1973年長野県千曲市(旧・更埴市)生まれ、45歳。新潟大学経済学部卒業後、(株)NSGアカデミー(当時(株)ウィネット)に就職。約10年、塾講師、塾運営の仕事を経て、NSGグループの事業本部に転籍。2013年、新潟食料農業大学設置準備室に異動。2018年4月の開学に伴い、同大学事務局次長兼学務課課長となり、現在に至る。
新潟で結婚し、家族は妻と1女2男。

この記事に関するNSGグループの取り組みはこちら

シェア