食と農を学ぶなら新潟だ、と言ってもらえるよう頑張ります!

2018.08.15 Wed

今年開学したばかりの新潟食料農業大学。その準備段階から携わり、スタートへとこぎつけた陰の立役者の一人が矢田広視さん。現在は、同大学で事務局次長および学務課課長として勤務しています。長野県で生まれ育ち、大学進学を機に新潟へ。以後、いつのまにか30年近くを新潟で過ごししてきたという矢田さんに、胎内キャンパスでお話を聞きました。

学生時代から30年近く。
もはやIターンというより、どっぷり新潟人(笑)

新潟に来たきっかけは大学進学です。祖父が佐渡出身、祖母が大潟町(現・上越市大潟区)出身ということで、新潟はまんざら縁のない場所というわけでもなかったのです。とはいえ、それまで新潟で訪れていたのは海水浴で行く上越市近辺のみ。新潟市はまったく初めての場所でした。

最初は方言が少し怖くて(笑)。「○○しれて(しなさい)」とか、「バカ○○(とても○○)」とか、少し威圧的に感じたんですね(笑)。アパートの大家さんは、家賃を持って行くと食事をふるまってくれるような大変に親切な方でしたが、私が食べていると、「もっと食べれてー」「まだ食べなせ」と繰り返し言ってくる。最初のうちは、こんなに満腹になっているのにまだ食べ方が足りないと叱られているのか、と思い、少し怖かったのです(笑)。すぐに慣れましたが(笑)。
強いて新潟に来た時の違和感を上げればこれくらいですね。ほかは本当に居心地よくて、いつの間にか長野で過ごした年月よりもずっと長く新潟で暮らしています。だから、今は、「Iターン」って言われると何だか変な感じです(笑)。

長野で就活、内定もらっていたのに
なぜか新潟で就職

学生時代に頑張ったのはバドミントンのサークル活動とアルバイトです(笑)。コンビニのレジ、ティッシュ配り、ほかにも学生時代はいろんなアルバイトをやりましたが、中でも楽しかったのが塾の講師でした。NSGグループが運営するNSG教育研究会に週3~4回くらい通って、小学生、中学生を教えていました。

大学で4年、楽しく過ごさせてもらい、卒業後はやはり実家に戻った方がいいと考えて、長野で就職活動したら、学生の売り手市場だったんです。大して頑張って就活しなくても、知らない会社から「入社しませんか?」と電話がかかってくるほど。私も故郷の長野で内定をもらって、そこに勤めるつもりでいました。

ところが、塾の生徒の親御さんから「うちの子2年なんだけど、あと1年、見てくれるんですよね?」と言われて、期待に応えたくてついそのまま…(笑)。まあ、中学生は3年間で体も心も学力もものすごく大きく成長するので、自分自身の中にも3年間生徒の成長を見届けたい、という思いがあったと思います。
また、NSGグループ池田代表の話も刺激的でした。20年以上前から、地域づくり、地域を盛り上げなければだめなんだ、と語っておられた。それまでの就活で、そんな話をしていた企業の方は一人もいなかったのです。

それで、故郷の会社の内定をお断りして、NSGグループに入りました。1年経ったら、あるいは仕事がイヤになったら、いつでも長野に帰ればいいや、くらいの気持ちだったんですが、イヤにならなかったですねー(笑)。

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