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新卒10年目社員のリアル

ターニングポイント。
自分を成長させた、あの経験。

今回集まったのは、2026年に新卒入社10年目を迎える4人の同期メンバー。事業領域も役割も違う4人が、NSGグループの中で悩み、壁を越え、自らの確固たる軸を育ててきました。10年目だからこそ語れる仕事のリアルと、これからのビジョンを座談会でお届けします。

Profile

小畑 宏樹
NSGグループのビジョンに惹かれ、2017年に誕生した経営者養成コースの第一期生となる。入社後、NSGグループ経営企画本部(現 経営推進本部)に配属後、不動産関連の業務を担当。2年目からは希望して事業会社へ。5年目からは株式会社古町糀製造所の代表取締役として会社経営を担う。2025年12月からは株式会社小川屋の代表取締役も兼務する。週1回、自ら執筆するメルマガにはファンも多い。
水戸 紗花
国際トータルファッション専門学校 事務局長。複数の専門学校で事業推進(学生募集に向けた広報や営業・企画・マーケティングなど)を担当。その後、29校の専門学校からなるNSGカレッジリーグ全体の広報を統括する事業推進部での経験を経て、2024年より現職に。事業推進のリーダーとして、学校経営や学生募集、教育の未来を見据えた戦略を推進中。
柄澤 旬至
社会福祉法人愛宕福祉会 法人本部事務局総務部にて、法人運営の土台を支える役割を担う。若手時代のパンフレット制作を機に当事者意識の重要性を学ぶ。現在は、福祉・介護現場におけるICT・AI・ロボット導入など、未来を見据えた業務改善に関わり、各分野のスペシャリストたちが高いパフォーマンスを発揮できる環境づくりを推進中。
粕谷 草太
新潟法律大学校 教務部主任。授業・就活指導など、教育現場の最前線に立ちつつ、カリキュラム作成、行事運営まで教務全体をリードする。学習塾を展開する株式会社NSGアカデミーで文系科目の教科指導や校舎運営などの経験を積んだのち、5年目に希望して、学校教育の現場へ籍を移す。現在は学校運営の中核として様々な挑戦を重ねる。

1.今の仕事と立ち位置

―まずは、現在の職場と仕事について簡単に教えてください。10年目を迎える今、どんな役割でどんな仕事をしていますか?

糀を使った商品を展開する株式会社古町糀製造所の代表をやっています。やっていることは、会社の運営に関する全てですね。商品づくりもそうですし、人のこと、お金のこと、取引先との調整も含めて最終責任を持つ役割です。2025年12月からは、鮭などの加工・販売を得意とする1893年創業の老舗、株式会社小川屋の代表も兼務することになり、食にまつわる2つの会社を見る立場になりました。
私は国際トータルファッション専門学校の事務局長として、仕事をしています。学生募集の計画を立て、チームで実行し、未来の学校運営まで考える役割ですね。高校生の志向や進路のトレンドって毎年のように変わるので、広報も教育内容も「今年は何を打ち出すか」を常に更新しています。
愛宕福祉会の法人本部で総務を担当しています。現場で活躍している介護福祉士や看護師などとは立場が違って、法人全体の働きやすい環境づくりに関わったり、理事会や評議会の資料準備をしたりとか。組織全体が活性化し、前に進んでいくために裏側で土台を整える仕事です。
僕は新潟法律大学校で教務部の主任です。授業や就活指導、カリキュラムの作成、校内行事の運営まで教務全般を担当しています。公務員志望の学生が多く、いい意味で真面目な空気感の学校なのですが、学校に明るさや活気を出せるようにしたいなと意識しています。
やっていることは違うけど、全員なんとなく、10年目っぽいことしてるよね。
たしかに(笑)。ただ自分は現場の感覚を持っていたいので、時間を見つけては店頭に立っています。お客さんの感覚から離れるとダメだという思いがあって。
わかる。僕も教務主任になってからは、カリキュラムや学校の方針そのものに対して、これまで以上の責任が出てきた。だからこそ、現場の感覚を持っておかないと本質とズレる。
総務も、現場が止まったら全部止まるので。介護ロボットとかICTの導入もそうですけど、結局は「現場が何に困っているか」がわからないと、いい戦略や打ち手のイメージができない。

―みなさん仕事の幅も責任も広がっていますが、いまの仕事で「やりがい」を感じるのはどんな瞬間ですか?

専門学校って環境変化が速いんですよ。大学志向が強まったり、高校生の興味の移り変わりも年単位で起きる。「現状維持は衰退」に繋がるので、情報発信も企画も毎年、その時の最善になるように考え直しています。逆に、それが当たったときは素直にうれしいですね。
経営は、当たり前だけど結果が数字で返ってくるのが面白いところですね。どう判断して、どう動くかで、会社の未来も変わる。しかも今は、二社を見ることになったので、個別最適だけじゃなく「新潟の食をどう伸ばすか」まで視野が広がって、頭使う量が倍になりました。

僕は成果が見えにくい仕事なので、そこが難しいです。でも現場の人から「助かった」とか「やりやすくなった」って感謝の言葉をもらえると、やっていてよかったって思えます。
学生の変化が一番やりがいですね。公務員試験って大変だし、どうしても試験に通ることだけに気持ちが集中しがちになるので、学校の空気を少しでも前向きにしたい。授業だけじゃなくて、学校全体の雰囲気に責任を持つのは難しいけど、そこにやりがいと手応えを感じています。

―ありがとうございます。現場も経営もそれぞれの役割で今を走っているのが伝わってきました。次は、そんなみなさんがNSGグループとどう出会い、なぜ入社を決めたのかを聞かせてください。

2.NSGグループとの出会い

―みなさんがNSGグループと出会ったきっかけと、入社を決めた理由を聞かせてください。

最初は東京都内メインで就活をしていたんですけど、「新潟就活フェア」みたいなイベントでNSGグループに触れた記憶があります。正直その時点では「学習塾の会社」くらいの認識だったんです。でもよく話を聞くと、新潟を中心にものすごく幅広い事業を展開していて、「あ、思ってたよりずっと大きい企業グループだな」って強く印象に残りました。大学生活の中で地元への愛着が強くなっていたので、新潟に帰るなら第一候補だなと。
私も大学は東京だったのですが、首都圏で働く自分の未来をあまり想像できなくて、新潟で就職しようと決めていました。ただ、興味を持っていた広報の仕事が新潟でもできるのかという不安もありました。合同企業説明会でNSGグループのブースがすごく活気があって、つい足を止めたんです。話を聞いたら、学校教育事業の中で広報に関われることを知って、一気に現実味が出ました。
僕はずっとスポーツをやってきたので、ぼんやりですけど「スポーツに関わる仕事がしたい」っていう軸がありました。企業研究をする中で、新潟でもスポーツに関われる企業があることを知って、それがNSGグループだったんです。調べていくほど事業の幅が広くて、新潟のいろんなことに関われるってところにも惹かれました。
僕はもともと公立の学校教員になるつもりで大学に行ったんです。上京して学習塾でバイトをしていた時に校舎長から「小学生に教えるのは上手いけど、中学生は失敗だったね」って言われて…あれは結構ショックでした(笑)。「このまま失敗で終わりたくない」って思って、公立教員よりも私立の学校や学習塾で子どもたちと関わる働き方を目指したくなったんです。自分が中学生のときにNSGグループの学習塾に通っていた縁もあって、当時の先生に相談したらインターンを紹介してもらって。「NSGグループなら、学校でも学習塾でも挑戦できる可能性がある」っていうのが、一番の志望動機でした。

―実際に「入社の決め手」になったのは、どんな瞬間でしたか?

経営者養成コースという採用コースがあったことですね。「地元に戻って働くなら、ただ働くんじゃなくて、新潟で事業創造に挑戦したい」って気持ちが強くなっていた。最後は創業者である池田会長の「わたしたちのまちを”世界一豊かで幸せなまちに”」って志に共感したのが決め手でした。単なる理想だけじゃなくて、実態を伴った経営をしている人だけが持つ迫力を感じたんです。
私は「新潟で広報の仕事ができるのか」という不安がほぼ解消されたのが大きいです。学校教育事業の中で学生募集の広報に携われる、って具体的にイメージできたので。「地元で夢を叶えるならここだな」って。それと、採用担当者の方が親身になってくださったのも大きかったですね。
それわかるなあ。実は僕、入社以来関わってきた福祉・介護の領域ではない分野を第1希望にしていたんですけど、一度選考に落ちちゃったんです(笑)。でもその時点で、もうNSGっていうグループ自体に惹かれていたんですよね。その気持ちを察してくださった人事の方から電話をもらって、もう一度受けてみませんかって。リベンジだからといって良い結果になる保障はないと思ったので、もう一度自分を見つめなおして受けました。その後、無事に内定になり、そのまま入社を決めました。
僕の場合は、選考期間の途中で教育実習や教員採用試験が入っていて、正直迷いもあった。でも、納得感を大切にして、決断を待ってくれた懐の深さには本当に感激しました。「ここなら僕自身のやりたい想いを受け止めてくれる」って、最後はそこで決めました。
そうだったんだね。もちろん、いつまでも待つことは難しいと思うけど、納得いく決断をサポートしてくれるのは確かに大きいよね。就活って、ちょっとでも他の進路への想いが強いように見えてしまうと、企業側に切り捨てられてしまう感覚があるから…。
グループの大きさもそうだけど、粕谷くんが言っていたように「懐」が広い感じがしたのは、今振り返ってもNSGグループらしさだと思います。

―ありがとうございます。次は、入社してすぐの頃、若手時代のリアルを聞いていきます。

3.若手時代に出会った壁

―入社1〜3年目くらいの頃、「上手くいかなかったこと」「しんどかったこと」って誰にでもあると思うのですが、そんな話を聞かせてもらえますか?

僕は1年目の後半に法人パンフレットの更新を任されて、そこで結構つまずきました。表紙の雰囲気をガラッと変えたいと上司から要望があったんです。「今回はもっと温かみのある感じにしたい」って、上司のイメージを確認してすぐ業者さんに伝えて、出てきた案をまた上司に確認して…っていう往復が続いて、全然前に進まなくて。
私も学校パンフレットの担当をやったから、その空回りする感じ、すごくわかります…。私の場合は在校生、卒業生など、いろいろな人にお願いごとをしたのですが、こちらは「こうしてほしい」って頭の中にイメージがあるのにうまく伝えられず、違うかたちで返ってくることも多くて。再度お願いをして、色々迷惑をかけてしまいました。
僕は1年目に配属になった校舎で「頼られない」壁がありましたね。なにかあると上司が指導歴の長い先生に相談する場面が多くて。もちろん上司の判断は適切だったと思うんですけど、当時の自分は頼られなかったのが、単純に悔しかったです。
悔しいよね、それ。僕の1年目は、NSGグループ本部の経営企画本部っていう部門で、会議体の運営補佐とか資料づくりとか、経営判断の材料を整える仕事が多かったんです。今思えば貴重な経験だったけど、当時は「これで合ってるのかな」って手探りで、目の前の情報整理に必死で全体像がまったく見えていない、ってことがよくありました。
僕は今振り返ると完全に「伝書鳩」でした。だれに質問されても「ちょっと確認します」って持ち帰ってばかりで、余計に時間がかかっていたと思います。
ズレて迷惑かけたくないから慎重になるけど、慎重すぎて逆に止まるというか…。
新人のときって、判断していい範囲がわからないから、そうなりますよね。僕も「まだ頼りになるって段階に到達していない」って頭ではわかっているのに、気持ちがついてこなくて。

―若手の頃って「なにが正解かわからない」という期間を誰もが経験するわけですね。その時期にいちばん強く残っている感覚って、どんなものでしたか?

僕は、悔しさが一番大きかったですね。「このままじゃ終われない」っていう。自分がもっと力つけるしかないって、ある意味シンプルになれたのは良かったのかもしれないです。
僕は、申し訳ない気持ち、だったかな。「なんで進まないんだろう」って気持ちばかり焦っていました。
私は、怖さかな。周りに迷惑をかけるんじゃないかって不安で。
みんなそういう「わからなさ」の中にいたよね。僕も1年目は余裕がなかったけど、所属部門の役割的には、各事業の経営幹部の人たちと顔を合わせる機会が多くて、そこで名前を覚えてもらえたのは、後から効いてきたなって思う。
その「後から効いてくる」って、すごく10年目っぽい話だよね。
当時は必死だっただけで、良かったかどうかなんて判断できないもんね。
若手の頃に「うまくいかないのが普通」っていうのは、ぜひ今の若手にも伝わってほしいかも。うまくいかないところから、どうしたいかを考え、自分の意思を持って実行していく。そうやって力がついていくんだって。

―ありがとうございます。若手時代の「うまくいかない体験」が、みなさんの土台になっているのがよく伝わってきました。

4.壁を乗り越えてつかんだもの

―さきほどの「若手時代の壁」を、みなさんはどう乗り越えていったんでしょう。ぜひその先の話を聞かせてください。

今も明確に覚えているんだけど、あるとき上司に「柄澤くん、当事者意識を持ってる?」って言われたんですよね。
その一言、効きますよね…。
うん。落ち込むというより、「あ、そうか。自分の意見を持たないとダメなんだ」と。そこからは、「この案件は自分が任されている役割なんだ」って意識で動くようにしました。上司にチェックしてもらう前に自分なりに理解していることを言葉にしてみたり、業者さんと話すときも上司の意見を伝えるだけでなく、「私はこうした方がいいと思うのですが、どうでしょうか?」というふうに自分の意見を伝えるようにしていきました。
NSGグループにいると、「自分の意思を持つ大切さ」を本当に感じるよね。
そうだね。仕事に対するマインドが変わったら、急に仕事が前に進み始めていきました。あの経験で、仕事っていうのは自分が考えて動かさないと、前に進まないんだって実感しました。
私は、お願いしたいことは伝えたつもりなのに、伝え方が悪くて落ち込む経験もたくさんしました。でもそのたびに立ち止まって、「どこで伝わらなかったんだろう」って考える。頼み方や言葉を少しずつ変えてみる。そういう試行錯誤をずっと繰り返してきました。
地味だけど、そこを積み上げるのって大事だよね。
上司や先輩が、相手に合わせて言い方やタイミングを丁寧に変えているのを見て、「伝え方まで含めて仕事なんだな」って気づけたのが大きかったですね。そこからだんだんと「伝え方の引き出し」が増えていった感覚があります。
伝わらなかったことを聞き手のせいにしても何も変わっていかないし、引き出しって、ほんと経験しないと増えないよね。
僕は2年目から味噌を扱う事業会社に移って、そこで新商品開発に取り組んだ経験が大きかった。なかでも新潟特産の「藤五郎(とうごろう)梅」を使った、梅甘酒、梅サイダー、梅味噌の梅シリーズは強烈に記憶に残っています。
自分で企画したの?
そう、企画から製造販売までぜんぶやった。正直、めちゃくちゃ大変でした。味を決めるまで何度も作っては直して。製造もそれぞれ違っていて、梅味噌は自分たちで作って、梅甘酒は古町糀製造所の工場で作ってもらった。梅サイダーだけは社内で作れなくて、外部でやってくれるところを探したんです。最終的に新潟市内のブルワリーさんにたどり着いて、設備や条件を相談しながら共同で作りました。
社外の人と仕事すると、一気に世界が広がるよね。
うん、完成した商品が売場に並んで、お客さんの反応が返ってくる瞬間がすごく面白かったんですよ。「自分が決めたことが人に届く」って経験をした。そこから、企画・製造・販売を全部つなげて考える視点や、周りの人を巻き込んで形にしていく仕事が面白いと思うようになりました。
梅の商品は売れたの?
うん、おかげ様で予想以上に売れました。
おお〜、すごい。
僕の場合、2年目に新潟駅前の本部校に異動したとき、教室運営に関わる仕事が増えたんです。
本部校って、規模も一気に変わるよね。
そう。そんななかで最初に取り組んだのが掲示物のリニューアルでした。それ以前は座席表とか案内が貼り替えるたびにごちゃごちゃしてたんですけど、「もっと一目で分かる状態にしたい」って思って、掲示の土台をラミネートのボードに変えて、上から差し替えられる仕組みに作り直したんですよね。
それ、細かい気づかいだけど、現場的にめちゃくちゃ助かるやつ…。
地味だし、今となっては少しアナログな改善かもしれないけど、毎日働いている場所だから、こういう積み重ねで流れが変わるというか。結果、そこを見れば必要な情報がすぐわかるようになって、他のメンバーも動きやすくなった。僕がその校舎を離れた今もその形で使われているって聞いて、すごくうれしかったんです。
自分の工夫が「仕組みとして残る」って、めちゃくちゃ手応えあるよね。
そうだね。「こうやって現場を良くできるんだ」って実感できたのが大きかったですね。どこに行っても「できることを見つけてやる」っていう自分の癖…というか、姿勢ができていった気がします。
なるほど、最初の悔しさからちゃんと改善に向いているのが粕谷くんらしい。

―ありがとうございます。では次は、いよいよ10年の中で「これは大きかった」と言えるターニングポイントについて聞いていきます。

5.ターニングポイント

―では、いよいよ今日の本題です。10年を振り返って、「あのときがあったから今がある」と言えるターニングポイントを聞かせてもらえませんか?

わたしの場合は、6年目に事業推進部に異動して、グループ全体の専門学校を俯瞰して見るようになったタイミングです。入学者数やオープンキャンパスの参加数、自分が所属していた学校だけじゃなくて、組織全体の数字が見えてきて、景色が一気に変わった感覚があったんです。
現場にいると、どうしても自分の部門やチームが中心になっちゃうよね。
ほんとそうで。学校ごとにターゲットも市場も違うし、似ているような学校でも戦い方が全然違うって、数字を俯瞰して初めてわかりました。「今まで見ていた世界、狭かったな」って…。上司から分析の仕方も教わったり、先輩のやり方を真似しながら身につけていった感じです。そこから学校運営の見え方が一段変わりました。
僕の転機は上司が変わったことでしたね。3年目のときに部長が変わって、いきなり「何をしてもいいよ、悪いときだけ報告してくれれば」みたいなスタイルになったんです。
急に自由度が上がるやつだ(笑)。
そうそう(笑)。前の上司は明確に指示を出すタイプの人だったんだけど、新しい部長は「柄澤くんはどうしたいの?」って聞いてくるタイプでした。最初は少し戸惑いました。でも、1年目の経験で、自分の意見を持つことの大切さは身に染みて分かっていたので、自由度が高くなった分、少しずつ新しい取り組みにも視点がいくようになったんです。
それは一気に景色が変わりそう…。
僕が所属している愛宕福祉会には100以上の事業所があるんだけど、現場の相談がほぼ自分に集まるようになって。現場と本部をつないで、「どう前に進めるか」を決めて、時には他部門とも連携して調整する。その頃から「総務って場を整えるだけの裏方じゃなくて、人やチームを繋いで動かす仕事なんだ」って腹落ちしました。仕事観がガラッと変わった転機です。

―なるほど。任され方が変わったことで、仕事の捉え方が変わったんですね。では、粕谷さんはどうですか?

5年目に学習塾から学校の現場に移ったことが一番のターニングポイントですね。それまでの仕事も手応えがあって、楽しかった。でも入社したときから「いずれ学校教育の領域でも仕事がしたい」って希望はずっと持っていました。
ちゃんと自分のキャリアプランを持っていたんだね。
うん。だから学校に移ったときは、自分の中では「やっと来た!」って感じでした。ただ一つ問題があったんですよ。異動後、しばらくして主任を任されたのですが、実は部下が3人とも年上で職場経験も長い人たちばかりだったんです。
うわ、それは空気づくりが難しそう…。
最初はめちゃくちゃ難しかったです(笑)。たとえば、新しいしくみを導入しようとしても、それぞれの考え方やこれまで続けてきたやり方があって、調整しても調整しても一筋縄ではいかない。途中から、以前のやり方に戻ってしまって。組織としても思うように一体感が生まれない。あの1年が一番悩んだ時期でしたね。
なかなかキツいね。
そこで初めて、「正しさだけじゃ人や組織は動かないんだ」って体で学んだ感覚がありました。景色が変わった、という意味ではあそこが最大の転機でしたね。

―そんな気づきがあったんですね。次は、小畑さんのターニングポイントを教えてください。

僕はもう、はっきりしてます。ターニングポイントは「社長になったこと」。5年目で社長になってから、見える景色が一変しました。
一気に背負うものの重さが変わった?
そう。しかも僕の場合、その就任のタイミングが最悪で…。コロナ禍の真っ只中で、組織も再編した直後。そこでバトンが回ってきたんです。出だしから踏んだり蹴ったりでしたね(笑)。
いきなりハードモードだったんだ。
正直、社長になる前は自分の得意な領域を活かしてやってきたんだよね。でも、社長になると組織で起きることは、最終的には全部自分の責任。判断の重さも考える範囲もガラッと変わりました。最悪なタイミングだったからこそ、腹のくくり方も一段深くなった気がします。
転機って、結局「逃げられない状況に立たされたとき」に起きるのかな。
ほんとにそうかも。求められるものが変わると、人って変わらざるを得ない。
環境や役割は違うけど、「視野が広がった」「背負うものが変わった」っていう点では、みんな共通しているね。

―ありがとうございます。みなさんが仕事をする上で「譲れないなにか」が生まれた瞬間がよく伝わってきました。

6.10年で培ってきた自分の軸

―では、そういう体験を経て今、みなさんの中に「これだけは譲れない」という軸が生まれてきたのではないでしょうか?そんな「自分の軸」、言葉にすると何でしょう?

僕は、経営にとって一番大切なのは「人」っていう結論に行き着きました。商品もお客さんももちろん大事なんだけど、まず従業員がいないと商品もつくれないし、お店も回らないし、会社がそもそも成り立たない。それが社長になってから、よりはっきり見えるようになったんですよね。
そこが一番リアルに迫ってくるんだね。
うん。何かを判断するときに「これをやったら現場の人にしわ寄せがいかないか?」って考えるようになった。逆に「従業員を守る、人を大切にする」っていう軸で経営を考えると、「じゃあ今、自分がやるべきことはこれだな」って見えてくるんです。優先順位が明確になったことで、やるべきことが逆算できるようになった感覚かな。
なるほど、優先順位が決まると、迷いが減るんだね。
やっぱり最後は人なんだよね。

―いいですね。じゃあ柄澤さんはどうでしょう?

僕の軸は、やっぱり「当事者意識」ですね。でも10年前の当事者意識と、今の当事者意識って、言葉は同じでもたぶん別物になってきている感覚があります。
別物、というと?
若手の頃は「自分が間に立って動かすんだ」っていう当事者意識でした。でも仕事を続けるほど、視野がどんどん広がるじゃないですか。AIとかICTとかロボットとか、新しい技術を導入する話も増えてきて。
最新のものを入れれば問題は解決、ってほど単純じゃないよね。
そうなんだよね。現場がどれだけラクになるのか、利用者さんにどれだけプラスになるのか。さらにもう一段、組織の未来にとって意味のある投資になるのか。そこまで含めて「自分ごとで考える」。それが今の当事者意識だと思ってます。
視野が広がった分、当事者意識で向き合う範囲も広がった、ってこと?
まさにそれです。役割が変わって視野がどんどん広がっていく。その広さに、自分の当事者意識が追いついているか。そこのせめぎ合いが、今の自分の軸ですね。
当事者意識が「広がっていく」って、すごく柄澤くんらしいね。

―ありがとうございます。では、水戸さんの軸も聞かせてください。

私は、本部で俯瞰して数字を見られるようになったことで、学生募集の見え方が変わったのが大きいと思っています。もともと「広報がやりたい」と思って入社して、広報の仕事が楽しくて、ずっとそこを頑張ってきました。
好きな仕事を深掘りしてきたタイプだよね。
はい(笑)。ただ、学生募集を数字と構造で見られるようになったら、「どう伝えるか」だけじゃなく、「そもそも何をつくれば選ばれるか」まで視野が広がってきた。授業の形だったり、学校運営の仕方だったり、広報の外側まで考えるようになったんです。
たしかに広報って、結局「学校そのもの」と地続きだよね。
そうなんだよね。だから私の軸は、「学生募集を入り口に、学校を良くするところまで考える」ってことかもしれないです。学校全体の魅力をどう育てて、どう伝えていくか。そこまでセットで見たい、っていう軸になってきた気がします。
それって水戸さんだからこその気づきなんだろうね。

―いいですね。最後に粕谷さん、お願いします。

僕のいまの軸は、「正解に辿り着くルートは一つじゃない」ってことです。さっきも言ったように、主任になって年上の部下たちと向き合ったとき、正直それまでの自分のやり方が全然通じなかったんですよね。
正面突破が効かなかったってこと?
そうだね。前は「正しいことをちゃんとやれば周りはついてくるはず」って、どこかで信じていた。いま思うと、それって理想論だったなって思います。正論だけをぶつけても人は動かないって現実に直面して、ここでは詳しく言えないけど(笑)、正攻法じゃないやり方も含めていろんなアプローチを試しました。
おお、やるなあ。
そこで気づいたのが、目的が同じでも道は一つじゃないってこと。正しいことを成し遂げるためには、方法は変えてもいい。正しさを捨てるんじゃなくて、届け方に幅があっていいんだって。そこに気づいてから、少し「大人の仕事のやり方」がわかった気がしています。
ときには回り道もする?
そうだね。いろんなアプローチを使ってでも、ちゃんと正しいところに着地させる。それでいいって思えるようになったかな。

―10年の積み重ねの中で、一人ひとりの中に「自分の軸」が育ってきたのがよく伝わってきました。

7.これからのビジョン

―いよいよ最後の質問です。これまでの話をふまえて、みなさんが今描いているこれからのビジョンを聞かせてください。次の10年でどんな未来をつくっていきたいですか?

僕はまず、古町糀製造所をもっと強い企業にすることですね。社員を守るって決めた以上、会社として安定して稼げる土台を作らないといけない。自分たちの強みをちゃんと形にして、お客様に「古町糀っていいよね」って選んでもらえる製品やサービスを増やしていきたいです。それと小川屋の代表も兼務していて、同じ食品でも会社ごとに課題も可能性も違う。2つの会社を見ながら、「新潟の食の未来をどう伸ばすか」まで考えていくのが、次のフェーズだと思っています。
私は、学校として「選ばれ続ける理由」をつくりたいです。いろんな社会情勢やトレンドのなかで簡単ではないけれど、それを理由に守りに入るより、毎年ちゃんと変えていくほうが大事だと思っています。伝えるだけでなく、伝える中身として、教育内容や学校のあり方まで関わっていく。「この学校で学ぶ意味って何だろう?」をもっと深く探って、そこを言葉と体験で届けられる学校にしたいです。
僕は「学生が最後まで伸びきれる学校」を作りたいです。公務員試験に向けた勉強って途中で心が固くなったり、視野が狭くなったりするし、だからこそ学校の空気や仕組みの力が大きい。主任としては、カリキュラムや授業の質ももちろんだけど、学生が相談しやすい雰囲気とか、頑張り続けられる環境をもっと整えたい。学校全体を少しずつでも前に進めて、卒業するときに「ここでやり切れた」って思える人を増やしたいですね。
僕は、現場がちゃんとラクになっていく仕組みを作りたいです。ICTやロボットって、入れればそれで終わりじゃなくて、現場で仕事をする人や利用者さんにとって意味があって初めて価値になる。これからは、「現場が何に困っていて、どうしたら本当に助かるのか」といった現場の声をもっと拾いながら、組織として将来プラスになる環境の整備を積み重ねたい。そうすることがウチの強みをつくり出すことになるし、もっと言えば地域のレベルを高めることにつながるんじゃないかって。

8.就活生へのメッセージ

―では最後に、ファーストキャリアでNSGグループを選び、10年働いてきた皆さんに伺いたいです。改めて「NSGグループってどんな場所か」。就活生の皆さんに向けて、語ってもらえますか?

僕は、入社したときからずっと変わらないんですけど、「新潟が好き」とか「地方を盛り上げたい」って気持ちがある人には、すごく合う場所だと思っています。仕事は違っても、根っこにその想いがある人が多いから、話していても同じ方向を向ける感じがあるんですよね。
私はNSGグループって「活気がある会社だな」って思うんですよ。いろんな事業領域の人と関わる機会があるんですけど、みんなアイデアを出したり、工夫したりするのが好きで、それがちゃんと現場に反映されていく。「やってみたい」が形にしやすい空気があるのは、NSGグループらしさだと思いますね。
僕は、やっぱり事業の幅広さと、人の多様さかな。教育も福祉も食もスポーツもあって、本当に幅が広い。でも不思議なほど、どこを切り取ってみても「地域のために」っていう芯が通っている。それが、10年経ってもずっと働き続けたい理由でもある気がします。
僕は一言で言うと、NSGグループって「懐が深い会社」だと思います。柄澤くんが言ったように事業も人も本当にいろいろで、それぞれがやろうとすることを受け入れてくれる。だからこそ面白いし、自分のやりたいことを広げていける場所だなって、年数を重ねるほど思いますね。

―ありがとうございます。では最後に、就活生の皆さんへ、一言ずつお願いします。

NSGグループは、事業も人も本当に幅広くて、やりたいことがまだ定まっていなくても、まず飛び込んでみたら、きっと自分の可能性が広がっていく場所だと思います。
学生のうちは、自分ができることって狭く見えがちだけど、社会に出ると意外と「やったらできた」ってことが増えていくんですよね。NSGグループって、そういう変化を後押ししてくれる場所だと思うので、焦らず、楽しむ気持ちで来てほしいです。
新潟のために力になりたいって思っている人には、NSGグループはすごく合う場所だと思います。新潟で自分のキャリアを築いていきたいと思っている人には、ほんとおすすめです。
NSGグループは、いろんな事業があって、いろんな人がいて、その全部を受け入れながら前に進む会社です。だから、「まだやりたいことがわからない」と思っている人ほど、むしろ向いていると思う。ぜひ一緒に面白いことやりましょう。

みなさん、
今日はありがとうございました。
次の10年が更なる成長の期間になることを楽しみにしています。

※所属表記・記事内容は、
取材当時の内容に基づいています。

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