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中堅社員のリアル

失敗という言葉は使わない。
ここでは経験と言われている。

集まったのは、いずれも30代から40代の5人。彼らの口をつくのは、「失敗したからこそ成長できた」というエピソード。彼らは失敗から何を学び、どう成長したのか?失敗にまつわる話を聞いてみました。

Profile

田村 連
株式会社NSGアカデミーNSG PLATS新潟第一事業部部長。2004年入社。入社後は学習塾事業を展開するNSGアカデミーの集団指導部門からキャリアをスタート。3年目からは、校舎責任者としてさまざまな教室運営に携わる。その後、個別指導部門に異動し、教室長や様々なプロジェクト経験を経て、2023年より部長職に。
若槻 真代
株式会社NSGホールディングス人事本部で主にキャリア採用を担当。入社から15年間は国際調理製菓専門学校で栄養学等の教務を担当しつつ、学生募集にも携わる。2度の産育休を経て復帰。その後、チャレンジ公募制度を利用して現職に。2006年入社。
池田 岳倫
株式会社NSGホールディングス人事本部採用HRグループ部長。2000年に入社後は、NSGアカデミーにて、校舎責任者、エリアマネージャー、事業推進本部長などを経て、2020年に現部門に異動。新卒およびキャリア採用の責任者としてチームを率いながら、次世代を担うリーダー育成にも携わる。
樋口 督水
株式会社NSGソシアルサポート代表取締役。新卒で東京の貿易会社に就職し、出産を機に新潟にUターン。2009年にNSGグループの社会福祉法人愛宕福祉会に入職以降、さまざまな形で障がい者の就労支援事業に携わる。2020年2月に起業し、現職に。
三ヶ月 亘彦
愛宕商事株式会社 取締役 兼 経営企画室室長。横浜市出身。大学卒業後は、健康食品関連の企業に就職。退社後、Iターンで新潟県へ。ブライダル業界、人事コンサルティング会社の新潟支社長を経て、2020年NSGグループに入社。経営に近い立場で働きやすい組織作りに携わる。

NSGグループとの出会いは?

―まずは、皆さんとNSGグループとの出会いを聞かせてください。

私は新潟育ちで、東京の大学に進学して、その後就職、子育てのタイミングで新潟に戻りました。しばらく家の近くの小さな福祉施設で働いていたのですが、NSGグループの愛宕福祉会が障がい者福祉部門を立ち上げると聞いて、入職しました。NSGグループでは、世の中が必要とするものはどんどんやろうという方針だったので、私自身も新しい施設の立ち上げに携わるチャンスを何度もいただきました。
私は大学で管理栄養士の資格を取りました。最初は教員を目指していたのですが、だんだんと視野が広がって、「食×教育」や「食×スポーツ」という発想で、仕事を探しました。そんなときにNSGグループの国際調理製菓専門学校が立ち上がると聞いて、絶対にここしかないと思ったのが出会いです。
私は工学部の院卒だったので、周りのほとんどがメーカーに就職するという環境でした。でも、一度きりの人生なのでやりたいことをやろうと考えて、小学生のときに憧れていた先生になろうと思ったんですね。ところが教員免許を取ってなかった。そんなとき、ゼミの先輩にNSG教育研究会でアルバイトしていた方がいて、働きやすいし、いい人ばかりだよと誘われたのがきっかけです。
大学生の頃にアルバイトでお金を貯めて、バックパッカーで海外を回りました。帰国したら、これまで見ていた世界が急に狭く感じたんです。そんなときにNSGと出会いました。当時の謳い文句は「NSGではやりたいことが変わったときも、チャレンジできる環境がある」だったんですね。当時の自分の気持ちにピッタリでした。当時アルバイトでやっていた塾講師が楽しかったので、まずは教育からやろうと思ってNSGに入社しました。
NSGグループに入る直前は人事コンサルにいたのですが、自分ではいい提案だと思っても、コンサルはお客様となる企業やそこの従業員からすると外の人でしかなく、なかなか直接的に組織を変革できない、そんな歯痒さを感じることがよくありました。組織を本気で変革をするなら自分が中に入って、自ら変革を実践するのが一番だと考えるようになった。そんなときNSGグループと出会いました。NSGグループには100を超える法人があるので、その法人の数だけチャレンジできると考えた。それで入社を決めました。

私の失敗体験その1。
-池田岳倫の場合-

―さて、今日のテーマは「失敗から学んだこと」です。よく「失敗なくして成功なし」と言いますが、皆さんはどんな失敗をして、何を学んだのか?ぜひそんなお話を聞かせてください。

では、まず私から新入社員のときの話を。入社後すぐにNSGアカデミーで小学生対象のクラスを受け持ったのですが、子どもたちが、わんぱくというか、すごく手強いんですよ 笑。それもそのはずで、彼らはこれまで先輩たちの良い授業をたくさん受けてきている。いわば授業を受ける側のベテランなんです。一方、こっちは新卒一年目の初心者ですから、「さて、お手並み拝見」とワクワクして待っているんです。
そういうことって、どんな仕事でも新入社員はみんな経験しますよね。
難しい質問をしてきて、私がきちんと答えると「へえ、やるじゃん」みたいな。私の方も舐められてはいけないと、気負ってしまって。こっちは先生だぞ!みたいな気持ちもありました 笑。そんなある日、本当に知らないことを質問されて、つい苦し紛れな回答をしてしまったら、教室中が少しザワザワってなったんです。しまった!と思ったけれど、もう後の祭り。そのあとは授業になりませんでした。
それでどうなったんですか?
先輩に相談したら、当たり前ですが「それは間違っていると思うよ」と指導してもらいました。子どもたちと張り合うのではなく、ある意味、一緒に授業を作る仲間だから、「子どもたちからも学ぶ姿勢を持とう」と。次の授業で「先生にもすぐに答えられないことがあります。わからないことは調べて必ず回答します。」と正直に言って謝りました。
それからはわからないときには、自分でとことん調べたり、先輩に尋ねたり。ときには、あえて他の生徒に聞くこともしました。最初は「こっちが教えてやるんだ」みたいな気持ちもあったのですが、そう考えているうちは上手くいかなかった。どうすれば子どもたちの好奇心に火をつけることができるのか。子どもたちの目線に立って、子どもたちと一緒に学んでいこう。そういう発想を持つことができてから、子どもたちとの関係性がガラッと変わり、いい方向に動きだしました。
いい話ですね。
仕事のやり方に答えはないんです。このやり方をやったら必ずうまくいく、みたいな方程式は一つもなくて、そこが仕事の面白いところです。社会人としてのおもしろさ、やりがいを強く感じましたね。1年目でそんな経験をできたことが、自分にとってはありがたいことでした。手本になる先輩の姿があったことも大きかったと思います。

私の失敗体験その2。
-田村連の場合-

―田村さんも学習塾事業からのスタートですが、いかがですか?

僕の場合、1年目2年目は比較的順調でした。身近に仕事ができる先輩がたくさんいたので、まずはとにかく先輩たちの真似をしていました。うまくいくことも多かったですし、正直、自信もありました。そんな1、2年目を過ごし、3年目に300名規模の比較的大きな校舎の責任者を任されました。抜擢と言ってもいいと思います。ただ、そこで大失敗をしました。
どういうことですか?
ひと言でいうと、校舎がバラバラになってしまったんです。当時部下だった社員や非常勤講師に対して、的確な指示を出すことができなくて、混乱させてしまった。その影響で生徒の成績が伸び悩み、入塾者も減った時期がありました。はっきりと数字に出てしまったんです。
どうしてそうなったんですか?
仕事というのは、答えのない決断の連続です。だからこそ、自分の場合は、どういう教室をつくりたいのかというビジョン、共通言語となる指針が必要だったんです。ところが、他の人の真似しかしてこなかった自分にはビジョンがなかった。その結果、場当たり的な対応になってしまい、メンバーの信頼を得られなかった。心配した上司からも声をかけてもらい、翌年に新設校に異動するかたちになりました。
上司の方からは、なんて声をかけられたんですか?
上司は優しい方だったので、「新しい教室をつくるので、そこを任せたい」という言い方をしてくれましたが、めちゃくちゃ悔しかったことを今でも覚えています。ですが、それが新たなスタートのきっかけになったんです。新しい教室なので、その場所をどう価値のある場にしていくかは自分次第。そこで、「自分はどうしたいのか」「何のために働くのか」「お客様が本当に求めていることは何なのか」といった自分の仕事のあり方を改めて考えることができました。
いい経験ですね!その後、田村さんのなかで答えは見つかりましたか?
はい!「この人と働いたら安心できる」「前向きな気持ちになれる」、そう思ってもらえるような人間になろうと決めました。教室運営においても、非常勤講師の先生たちが楽しく働けるようにしようと考えました。楽しく働くためには、自分のやりたいことをやることが一番です。一人ひとりが自分のやりたいことをして、それが子どもたちの役に立つ。そんな環境をつくろうと考えるようになりました。
それが田村さんの原点なんですね。
そうです。その後、もう一度300人規模の教室を任されましたが、今度は自分のビジョンを明確に持って取り組むことで、教室が盛り上がりました。今年から部長という立場になりましたが、今やっていることも同じです。そこで働く仲間たちが自分のやりたいことをできる環境をつくること。あのとき考えたビジョンが今に直結しています。

私の失敗体験その3。
-樋口督水の場合-

―樋口さんはいかがですか?

私も失敗から学ぶことばかりでした。最初の頃は特に福祉施設の利用者さんたちから学ぶことが多かったですね。入職したばかりの頃、利用者さんに「まだ入ったばかりなのでよくわからないんです」と言うと、「でも、お金をもらっているんだからプロだよね」と言われました。「確かにそうだ」と思って、それでギアが一段上がりました。
そうすると今度は頑張りすぎてしまった。いろんなものを抱え込んでしまい、疲れてミスが増えました。一番の原因は利用者さんとの距離感がわからなかったことです。なんとか役に立ちたいという思いから、どんどん背負い込んでしまって。自分自身も子育ての真っ最中でしたから、家族にも負担をかけてしまいました。
そんなとき、違う施設の先輩から「1人で利用者さんの人生を抱え込むなんておこがましいよ」と言われて、それでハッと気がついたんです。確かに、家族でもない私がその方の人生をずっと抱え込むことはできない。じゃあ、何ができるのか。そのことがきっかけで、「人・施設と地域のネットワークをつくる」という、今のミッションに辿り着いたんです。
自分の進むべき道が見えたんですね。
そうです。ただ、ミッションが見えたのはいいんですが、今度は別の問題が起こりました。半年間で4名のスタッフがに辞めてしまったんです、自分ではスタッフには気を配っている方だと思っていたので、理由がわからず、ショックで大泣きしました。
それはショックですね。
あるスタッフの人から、「樋口さんのスピード感についていけない」と言われました。その時に気づいたんです。私がやりたいことと、みんながやりたいことは違っていて当たり前なんだ。組織のミッションが一人ひとりのやりたいことにつながっていなければ、働くことが義務化されてしまう。私のビジョンを示すだけではダメなんだ。だから、さっき田村さんが言った共通の指針を作るというのは、共感します!
それ、ぼくもわかります。同じことを体感しました。
それで、全スタッフで集まって将来やってみたいことを自由に語り合う機会をつくったんです。ある人は猫カフェをしたいと言いました。大学をつくりたいといった人もいました。すぐに実現可能かどうかはこの際、関係ありません。いつかそれを実現するために、いま、何ができるかをみんなで考えてみたんです。すると一人ひとりに当事者意識が芽生え、互いに支え合う気持ちとワクワク感が生まれました。これが人の定着につながっています。今でも年に1回このミーティングを続けているんです。

私の失敗体験その4。
-若槻真代の場合-

―では、若槻さん、お願いします。

NSGグループは若手にもチャレンジを推奨しますよね。前向きな失敗はいくらでもやりなさい、みたいな。私もよく上司から「頼まれごとは試されごとだよ」と言われました。絶対に不可能な頼みごとなんてされないから、人に何かを頼まれたらそれはチャンスだと思いなさい、という意味です。
そういう前向きさを尊ぶ風土は今もありますよね。あと、あくまで「推奨」というのがポイントですね。人によってライフステージの変化など、いろんなことがあるので。
そうですね!ただ、頑張りすぎちゃうとやっぱり上手くいかないんです。私も20代で結婚出産を経験し、二人の子どもを育てながら、授業を受け持ち、同時に広報担当として進路相談会にいって学校説明をしていた。いま振り返ってみると頑張りすぎていたと思うんですが、当時は分からなかった。なにより仕事がすごくおもしろかったから。
確かに当時から頑張りたい人には、どんどん任せようという空気があったよね。
ある日、進路相談会中に高校生の前で担当専門学校の紹介をしていたら、突然声がでなくなったんです。話すことがメインだったので喉を酷使してしまったんでしょうね。その後、1ヶ月間は声を出せなかった。マスクにバッテン印をつけて、「ごめんなさい、話かけられても返事ができません」という意思表示をしていました 笑。
声が出ないと授業ができない?
そうなんです。授業料をいただいているのに、教壇に立って話せないって致命的じゃないですか。考えて、考えて、思いついたのが、グループワーク中心の授業でした。テーマを与えて、学生自身に考えさせて、対話し合うというスタイル。今でいうアクティブラーニングですね。すると、そのスタイルが評判になって、自分のスタイルが定着したんです。
怪我の功名ですね。
そうなんです。試行錯誤しながらそのスタイルに辿り着いた。また、進路相談会に出られない分、違う仕事を担当することで、できる仕事の幅が広がった。まさに怪我の功名です。できないからと諦めるんじゃなくて、思考の転換によって、得られるものがある。いい経験ができました。
若い頃って頑張らなきゃという気持ちが強いので、頑張りすぎて苦しくなってしまう。そんな経験はみんなあったと思います。でもそんなときこそ、周りを頼ってほしい。むしろ、頼らないと全体がアンハッピーになってしまう。自分もいまは上司の立場なので、みんなのヘルプのサインを見逃さないように気をつけているんですが、ぜひ声を上げてほしい。
上司の人たちも同じような苦労をしてきた。だから、すごく共感してくれるし、欲しい言葉をかけてくれる。NSGグループにはそんな上司が多いと思います。

私の失敗体験談その5。
-三ヶ月亘彦の場合-

―三ヶ月さんはいかがですか?

NSGグループに入社する前の話なのですが、今でも忘れられない出来事があります。前々職でブライダル業界にいたときのこと。前撮りで撮った白無垢の写真が、あろうことか縁起が悪いとされている左前になっていたんです。
えええ、それはたいへん。
ご親族から連絡をいただき、すぐに上司と一緒に謝罪に伺いました。撮影クルーのミスだったのですが、「責任は私にあります」と言って謝り続けました。ところが、ご親族のご立腹はなかなか解けず、私たちは正座をしたまま頭を上げることができません。どれくらい時間が経ったのかもわかりませんでした。ですが最後には「まあ足を崩しなさい」と言って許してくれました。気がつけば、数時間が経っていました。
ご親族のお気持ちはわかります。ですが、数時間は大変でしたね。
正直、謝罪の最中にはもうやめたいとも思いました。けれど、最後まで貫けたのは上司が一緒に謝ってくれたからです。もし、次にこんなことがあったら、絶対に逃げることなく向き合おう。そういう人生の教訓になりました。
その体験がいまの「ATAGOプロジェクト」につながっているんですか?
おっしゃる通りです。私はいま、若手社員に「責任は私たちが取るから、どんどんトライしなさい」と言っています。社長と二人で話し合って、若手のエネルギーを引き出すために、ボトムアップの組織を目指して「ATAGO2.0」というプロジェクトをつくり、もうすぐ4期目を迎えます。メンバーで話し合って新しい会社ロゴをつくったり、ホームページを再構築したり。そうすると、あれもやりたい、これもやりたいと、若手からアイデアが出るようになりました。
一つのきっかけで、若手のエネルギーが湧き出たんですね。
はい。その成功事例の一つが「知域王」というカードゲームです。これはある若手社員の趣味だったボードゲームと地域教育を掛け合わせて生まれた新規事業です。最初に新潟県の佐渡市版ができて、次に新潟市版。その後、よりニッチなバージョンも生まれ、今は小学校と一緒に新しいプロジェクトなんかも始まっています。このプロジェクトでは小学生がクラウドファウンディングをやったんですよ。他にも新しい取り組みが続々と始まっています。

失敗こそが財産になる。

―ここまでお互いのエピソードを聞いてきましたが、感想などいただけますか?

みなさんの話を聞いていて、1年目に配属された先の上司が「失敗したら自分が責任を持つ」と言ってくれたことを思い出しました。だから、私も部下がついた時はそう言ってきました。
部下が失敗したり、できなかったとしても、それは私たち上司の責任です。上司は常に他責ではなくて自責。そうじゃないと部下は怖くてチャレンジできませんから。
苦労や失敗は自分にとっては次への貴重な経験になるし、その経験を今度は後輩に伝えてあげることもできます。失敗ってすごい財産だと思うんです。
そもそもNSGでは「失敗」という言葉をあまり使わないですよね?自分では失敗したと思っていても、周りからはそんなふうに言われない。
そうそう。失敗ではなく、「経験」だと言われますね。うまくいかないやり方を知ることも経験ですから。
NSGグループは教育事業からスタートした企業。そんなところがこの風土の根っこにあるのかもしれません。壁を越えることで、成長があり、それが人や組織の可能性を広げる。失敗を経験に変えればいい。ここではみんながそう思っている。時代が変わってもこの風土は大事にしたいと思っています。
私は安定の方が怖いんですよ。なぜなら安定って思考停止に近いから。私のいる福祉業界は「安定している」と思われがちですが、世の中を見渡すと、時代の変化に置いてきぼりになっている施設がたくさんあるんです。老舗と呼ばれる企業も変わり続けているから今があると言われますよね。常にチャレンジするからこそ、安定も生まれるんだと思っています。
一方で、私は「NSGグループには安定感がある」と思った瞬間があります。それはコロナ禍になったとき。NSGグループの企業の1つに老舗ホテルがあるんですが、コロナ禍で宿泊予約が入らず、世間では多くのホテルが希望退職を募っているときに、NSGの場合はグループ内で受け入れ先を探した。愛宕商事でも3名を受け入れて、今も活躍してくれています。
確かにそうかもしれない。そういう意味ではすごく人情味のある会社だと思います。

―最後に、学生のみなさんにメッセージを一言ずつお願いします。

仕事というのは「やりたいことやって、社会貢献して、感謝される」ためにやるもの。それが私の信念です。やりたいって思ったことを、どんどんやってほしい。
間違ったときは上司にサポートしてもらいながら、周りの方を頼って、のびのびとやってもらいたいです。
私自身もNSGグループのフィールドの広さに魅力を感じてここに来ました。一緒にこのステージを楽しみましょう。
やりたいことって年齢とか、経験にともなってに変わると思うんですよね。チャレンジしたいタイミングのときもあれば、落ち着きたい時期もある。どっちもOKなのがNSGです。
NSGグループはよくばりな人生を送れる場所です。最近は「失敗しないように」ということに、気を使いがちな風潮がある気がしますが、それは結果的に成功から遠回りしているように思います。ヒントは常に失敗の裏にかくれています。いろんな経験がしたいと思っている人は、ぜひ仲間になりましょう!

※所属表記・記事内容は、取材当時の内容に基づいています。

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