
目の前の小さな挑戦を続けた。
自信もやる気もなかった自分が、
いま、誰かの背中を押している。
目の前の小さな挑戦の先に。
2009年新卒入社。NSGグループ東京本部での勤務を経て、株式会社ウイネットへ。全国の教育機関を対象に、教材や学習管理アプリなどを通した学校運営を支援する営業を中心にキャリアを重ね、2025年よりセールス部副部長となる。新規営業を通じて築いた信頼をもとに、営業とマーケティングを融合させた取り組みを推進している。信条は「死ぬこと以外はかすり傷」。
叱られて、動き出した。
大学受験に失敗し、浪人を経て地元の専門学校へ。最初は、どこか諦めのような気持ちだった。授業よりもアルバイトに時間を使い、毎日が惰性のように過ぎていった。転機は、担任の先生に呼び出された日だった。「今のままだと、どこにも就職できないよ」。ハッキリと𠮟られた。短い言葉だったけれど、そのとき初めて、自分の足で立たなければと思った。それからはオープンキャンパスの運営に参加した。受付で高校生に声をかけ、パンフレットを渡し、学校の魅力を紹介する。そんな活動のなかで、学校生活でほとんど表に出ようとしなかった自分が明らかに変化していくのがわかった。卒業が近づいた頃、先生から「NSGグループを受けてみないか」と勧められた。1回目の採用試験では不採用。悔しさよりも、もう少し頑張れるかもしれないという気持ちが残った。2回目の挑戦では、過去の失敗も含めて自分のありのままを話した。結果、内定をもらったとき、ようやく誰かの言葉ではなく、自分の意思で進む一歩を踏み出せた気がした。入社後、最初の配属先は意外にもNSGグループの東京本部だった。来客対応や資料の準備をこなしながら、空いた時間に通信教育で簿記の勉強を始めた。社会人として役立つ資格を身に付け、自分のこれからのキャリアに活かしたかった。

新規営業で培った自信。
入社2年目、新潟に戻り、ウイネットの営業担当になった。最初の訪問は、新潟市内の専門学校へ、先輩の同行から始まった。何校目だったか、「次は宮田くんからお客様に話をしてほしい」と先輩に言われた。できそうな気がしていた。ただ、カバンいっぱいに詰め込んだ教材を机にずらりと並べた瞬間、頭が真っ白になった。言葉が出てこない。あとは先輩が静かにフォローしてくれた。帰り道、先輩はその時の失敗に何も言わなかったが、「焦らず次に上手くいくよう考えればいい」と言われているようにも感じた。それからは、自分で試行錯誤を繰り返した。数か月後、同じ学校で初めて注文をもらった。先輩は何も言わなかったけど、少しだけ頷いて喜んでくれた。その後は日本全国の学校を担当。新規営業に力を入れた。とはいっても、がむしゃらに売り込むわけではない。必要になったときに思い出してもらえるように、ちょうどいい距離感で関わり続ける。たとえば、国家試験の合格発表の時期には「今年の学生さんの結果はいかがでしたか?」と電話を入れ、先生と一緒に喜びや悔しさを分かち合う。新年度の科目編成が始まる少し前には「お役に立ちそうな新教材ができました」と声をかける。そうした積み重ねが少しずつ信頼につながっていった。気づけば、「宮田さんに」と指名で任せてもらえる仕事が増えていった。手の中に増えていく仕事そのものが、自分を支える力になっていた。
挑戦を、次の世代へ。
いまはセールス部の副部長としてチームを率いている。自分が新人の頃は、先輩の背中を見て覚えるのが当たり前だった。でも、いまのメンバーには、できるだけ先回りして教えてあげたいと思っている。最初は一緒にやり方を確認し、商談の流れをロープレで練習する。できたことをしっかり認めて、一緒に喜ぶ。それが次の挑戦への原動力になる。教えすぎず、放っておかない。その距離感を大事にしたい。コロナ禍で訪問営業が難しくなったときは、社内で「ウイナレッジ」という教員向けのオウンドメディア(情報サイト)を立ち上げた。先生方に役立つ記事をつくる。営業担当がお客様の悩みに合わせて活用してくれればいい。「もしかしたら、この記事がお役に立てるかもしれません」。そんな距離感でそれぞれがお客様と向き合い、すぐの反応は期待しない。必要になったときに、担当それぞれの顔を思い出してもらえるように種をまく。ときには「あの記事、役立ちました」と連絡をもらえることもある。これまで自分が続けてきたやり方を、チームとして形にしたい。振り返れば、いろんな人に支えてもらって、ここまで来られた。あのとき叱ってくれた先生も、背中で教えてくれた先輩も。その中で自分も少しずつ成長できた。今度は自分が誰かを支える番だと思っている。
