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すべての人が、
ボーダレスに
活躍できる社会を。

#母の背中
#生き方の選択肢を
#気がつけば経営者

障がい者が社会を変える。

株式会社NSGソシアルサポート
樋口 督水

株式会社NSGソシアルサポート代表取締役。杏林大学外国語学部卒。大学在学中に1年間スリランカでのボランティア活動に参加。新卒で東京の貿易会社に就職し、出産を機に新潟に帰郷。2009年NSGグループの社会福祉法人愛宕福祉会に入職以降、さまざまな形で障がい者の就労支援事業に携わり、2020年2月から現職に。2019年、事業創造大学院大学修了。家族は夫と一男一女。

障がいを持つ方に、生き方の選択肢を。

記憶の中の父は、いつも病院のベッドの上にいた。「私がスチュワーデスになって病気の父を海外旅行に連れて行く」。幼い約束が今も文集に残っている。8歳の時に父が亡くなってから、母は懸命に働いて3人の子どもを育てた。測量士だった父の会社を不動産業に鞍替えし、母が経営者になった。母のいる小さな事務所が遊び場だった。決して裕福ではない。それでもいつも幸せだった。大学では外国語学部に。途中1年間、国際ボランティアでスリランカに行った。瞳のキラキラした子どもたち。でも、貧しい彼らには生き方の選択肢すらない。現実を知るほどに自分の無力さを感じた。東京で就職した後、結婚。子どもを授かったことを機に新潟に戻った。出産後、たまたま募集があった近所の障がい者施設にパートで入職した。利用者の方々と一緒に折り紙をしたり、体操をしたりの日々。「手伝って欲しい」。ある日、隣接する施設からダイレクトメールの封入作業を頼まれた。これくらいなら利用者さんと一緒にできるかな。軽い気持ちで引き受けたが、驚いた。誰もが時間を忘れて熱心に作業に打ち込んでいる。次の日もまた次の日も、「今日はお仕事ないの?」と聞かれた。そうだ、この人たちも仕事がしたかったんだ。誰かの役に立つ喜び。障がいを持つ方に生き方の選択肢を増やしたい。それが自分のテーマになった。スリランカで無力だったあの日から、道は繋がっていた。

きっかけはジョブコーチ。スキルではく、人間を見つめる。

2年ほど経ったある日、「愛宕福祉会が就労移行支援をやるらしい」と人伝えに聞いた。すぐに面接に行き、その場で採用が決まった。障がい者就労支援センター「ドリーム」。ここは障がいを持つ方が一般企業で働くために必要なスキルを身につける訓練施設。ビジネスマナーやコミュニケーション、自己管理の方法などを覚え、社会に出る準備をする。彼らの中にある「働きたい」という気持ちに応えたい。しかし、現実の壁は低くなかった。「どうしてできないんだろう」。その人が苦手なことにばかり目がいく。押し付けたり、助け過ぎたり。ジョブコーチの資格を取ったのはちょうどその頃。その人に何ができるか?ではなく、その人がどんな人なのか。どんなことが好きで、どんな個性を持っているのか。人間そのものに目線を向けて、相手を理解することから始めればいい。そこからすべてが変わった。自身の提案で立ち上げた就労継続支援施設「デイアクティビティセンターはろはろ」では、利用者の方々と毎日真っ黒になって農作業をした。新潟でもジョブコーチの資格が取れるようにセミナーを立ち上げた。新潟市からの受託で障がい者就労支援センター「こあサポート」を立ち上げたときは、二人目の子どもが生まれたばかり。時には背中におぶって出勤したこともあった。やりたいことが次から次に溢れた。「好きなようにやれよ」。上司も背中を押してくれた。

「あなたがやってください」。特例子会社の代表に就任。

2017年には事業創造大学院大学に入学。経営を学ぶことで障がい者を雇用する企業側のニーズを理解したいと考えた。上司に相談すると、「行け行け」と推薦状まで書いてくれた。毎日仕事を終えると18時半から大学院に。21時に授業が終わるとすぐに上の子のサッカーのお迎えに行く。家庭と仕事と論文。無我夢中だった。修士論文では障がい者雇用を経済効果の側面から分析。その中で特例子会社に触れた。特例子会社とは障がい者の雇用の促進と安定を図るために、特定の条件の下でグループ内に設立できる子会社のこと。「雇用率を確保できるという企業側のメリットと同時に、障がい者が活躍する場をつくることで、世間の耳目を集める効果が期待できます」。卒業間近のある日のプレゼン。聞いていたNSGグループの池田会長から声が上がった。「その会社、あなたがやってください」。え?私が?とてもムリです。一度はお断りした。でも、「待っている人たちがいるんじゃないのか?」。また背中を押してくれたのは上司だった。「私でよければやらせてください。みなさん、どうか手伝ってください」。2020年2月、株式会社NSGソシアルサポート設立。代表取締役に就任。現在、雇用契約のある障がい者は11名。もっともっと増やしたい。就労移行支援事業も立ち上げた。障がい者の在宅ワークも可能にした。語学やITのスキルを活かしたフリーランス型雇用の道も探っている。すべての人に生き方の選択肢を。やっとここまできた。気がつけば経営者になっていた。あの日の母のように。

※所属表記・記事内容は、取材当時の内容に基づいています。