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人と人がつながると、そこに価値が生まれる。
気がつけば経営者に。

#教育と矜持
#人のつながり
#失敗と成功のくりかえし

気がつけば経営者。

株式会社アイ・シー・オー
小平 勝志

2002年NSGグループ入社。教材や教育ソリューションを販売する株式会社ウイネットの営業職として活躍。2007年からは株式会社サーティファイで検定試験や試験対策の問題集のプロモーションを担当。2015年に「ジュニア・チアダンス検定」を立ち上げ、全国に普及。2020年に株式会社アイ・シー・オースポーツマーケティングの代表取締役社長に就任。2022年4月より株式会社アイ・シー・オー代表取締役を兼務。福島県出身。新潟大学卒。

これまでのキャリア
1年目
教材や教育ソリューションを販売する株式会社ウイネットの営業職として活躍。
6年目
株式会社サーティファイで検定試験や試験対策の問題集のプロモーションを担当。
14年目
商品開発責任者として新規商品開発とプロモーションに従事。
「ジュニアプログラミング検定」「ロボット操縦検定」や「オンライン動画教材」等を開発。
18年目
新規事業として「AIによる本人認証試験システム」を立ち上げ。
19年目
株式会社アイ・シー・オースポーツマーケティングの代表取締役に就任。
21年目
NSGグループ総合広告代理店 株式会社アイ・シー・オー代表取締役に就任。

海外で感じた違和感。教育に携わりたいと思った。

福島県立会津高等学校から新潟大学へ。大学時代は勉強もそこそこにバーでのアルバイトに励み、大人の世界を垣間見た。常連だった経営者や会計士の先生たちとは今も交流がある。大学を1年休学して留学したオーストラリアは、世界中から人が集まる場所。そこでは皆が自分の国を誇らしげに語るのに、日本人だけがなぜか自国を卑下する。なぜだろう。強い違和感を感じた。2000年はシドニーオリンピックの年。女子マラソンの高橋尚子さんがゴールテープを切るシーンをスタジアムで見た。彼女がスタジアムに近づくと、観客が一斉に足を踏み鳴らす。国籍や民族の壁を超えた一体感。感動した。出自への矜持と他者への敬意。その二つを大切にできる人間を育てたい。日本に帰ったら教育に関わる仕事をしよう。そして出会ったのがNSGグループだった。

最初の配属は全国の教育機関に教材を提案する株式会社ウイネット。「うちの教材を使って、こういうカリキュラムで、こういう授業をすれば、資格試験の合格率をこのぐらいまで持っていけます」。一人ひとりの先生が熱い想いを持って学生に向き合っていた。こんな人たちがこの国の教育現場を支えているんだ。こちらもついつい熱くなる。若気の至りで、本音でぶつかったことも。「小平君は面白いね」。何人かの先生とは今でも付き合いがある。どうやら一度繋がった関係をずっと大事にするのは会津生まれの特徴らしい。

日本初「ジュニア・チアダンス検定」。資格の意義に気づいた。

ウイネットで5年間営業をやって次は検定試験事業の会社に。ここでチアダンスと出会った。アルビレックスチアリーダーズは、日本初、プロのチアリーダーズチーム。彼女たちが持つノウハウを検定試験に落とし込んで、全国のジュニアたちに届けること。それがミッションだった。最初は大きな団体とのタイアップを考えた。ところが、しがらみが絡んでうまく進まない。やっぱり草の根で行こう。全国のキッズチアスクールを回る。「スポーツに資格なんて必要ないよ」。そんな声が大きかった。ただ、視点を現場に下ろすと、先生によって教え方がバラバラで、混乱が生じていた。「チアの基本を学べる検定があれば指導の指針になりませんか?」。共感してもらった先生たちと一緒に現場に即した検定をつくり上げた。試験導入してもらった現場では、子どもたちが目を見張るほどに成長する。そうか。人が何かを学ぼうとしたときに、資格は最初のフレームになるんだ。資格があれば、その分野の技術レベルが一気に底上げされる。もしかして、資格が必要な領域って世の中にまだまだあるんじゃないか?そこからは資格をつくる側に回った。最初に企画した「ジュニアプログラミング検定」は一気に全国に広がった。ところが、大手企業とコラボしたロボット操縦検定は導入途上で事業撤退が決まった。人工知能検定はまだ時期尚早だった。成功も失敗も数えきれないほど経験した。

人生に無駄はない。すべてが後でつながる。

ジュニア・チアダンス検定を立ち上げた頃のこと。「やったー!合格!」。はしゃぐ声のそばで、落ちた子を励ます子がいる。チアの世界には「自分ではない誰かを応援したい」というカルチャーがある。これも素晴らしい教育だと感じた。次の契機は2020年。株式会社アイ・シー・オースポーツマーケティングの代表取締役社長に就任。当時、世の中は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の真っ只中だった。

就任早々、コロナで外に出られずに、頼りの「子ども食堂」にすら行けない子どもたちがいると聞いた。子を持つ親として、居ても立っても居られずに動いた。チアのスポンサーである地元スーパーマーケットから廃棄前食材を提供してもらい、それをチアリーダーたちが子ども食堂に持っていく。子どもたちと一緒にダンスをする。すると、短い時間だけど子どもたちに笑顔が戻った。久しぶりの明るい話題にマスコミが飛びつく。スーパーの社名が何度もテレビに映され、「ウチの社員たちもうれしそうだったよ」と社長がスポンサー契約を延長してくれた。佐渡島ではコロナ禍で厳しい状況に置かれた古民家宿で、子どもたちを対象にチアのダンスレッスンを行った。全9回のレッスンの集大成として、新潟アルビレックスBBのハーフタイムショーにオンラインで出演。島のスクールには問い合わせが殺到し、試合をみた観客から古民家宿に予約が入った。この企画は内閣府の補助金と新潟大学の知見にも助けてもらった。チアが持っているホスピタリティをエンジンにして、人と人がつながり、いくつものwin-winが生まれた。2022年には株式会社アイ・シー・オーの代表取締役に。プライベートでは子育て支援のNPOに参加。その一環で、母校新潟大学で「育児学」について教鞭をとる。人生に無駄なものはひと粒もない。

※所属表記・記事内容は、取材当時の内容に基づいています。
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