老舗の再生を託され30歳で社長に 試行錯誤の末、黒字化に成功 新潟の味を未来に伝える
株式会社小川屋 / 大橋 祐貴

2021.03.23 Tue
PROFILE
大橋 祐貴
株式会社小川屋 代表取締役社長
1987年新潟県柏崎市生まれ。同志社大学法学部卒業後、東京の都市銀行に就職して個人の資産運用などに従事。その後、ファストファッションブランドの店長・マーケティング部、ITベンチャーなど複数の業界を経験。2016年にNSGグループに入社し、株式会社和僑商店に配属。その後、株式会社小川屋にゼネラルマネージャーとして出向したのち代表取締役社長に就任。小川屋は1893年に創業し、漬け魚を中心に製造・販売を行ってきたが、NSGグループが事業承継。大橋さんは2017年に小川屋の社長に就任。120余年続く老舗の想いと技を活かしながらも、現代の趣向に沿って商品・サービスのリブランディングを進めている。
東京で様々な経験を積むが、30歳手前で自問自答。
自分はどこで何がやりたいのか…その答えが新潟へのUターン。
企業再生を託され、老舗企業の代表取締役に就任。
初めての業界、伸びない売上…しかしチャレンジ精神だけは忘れなかった。
お客さまとの絆を大切にしながら、どこまで成長できるか。
伝統の味を未来に伝え、ふるさとに恩返しをしたい。
そんな若手経営者 大橋さんの挑戦とは?

30歳で老舗企業の社長に就任、プレッシャーの日々

株式会社小川屋の社長になるに至った経緯を聞かせてください

NSGグループの面接の時、NSGグループで発酵など日本の伝統的な食事業の会社を複数展開する和橋商店ホールディングス社長の葉葺から、新潟の老舗企業の再生を手伝ってほしいと言われました。企業経営はチャレンジしてみたいことの一つ。「興味があるなら、責任者としてやってみないか」と言ってもらい、「はい、やらせていただきます」と即答しました。その時は再生するのはどんな会社で、どんな働き方をするか分かりませんでしたが、新潟に戻り、地元新潟のためになる仕事をしたいと考えていたので、その希望が達成できたのでシンプルに嬉しかったです。

経営に関する経験はあったのでしょうか?

大学を出た後、最初の就職は東京の都市銀行でした。その後、ファストファッションブランド、ITベンチャーなど4回転職し、いろんな業種・職種を経験しました。「もっと成長したい、まだまだやれることがある、若いうちから裁量を持ってやりたい」と漠然と考えていた結果です。だからある程度成果が出たら、次の会社にチャレンジ。その繰り返しでしたね。ですので直接的に経営に関わる仕事というのは経験していません。ただ、銀行時代に得た経験から、数字を見ることができる。ファストファッションの店長をしたので、従業員のマネージメントが、またその後に本社でマーケティングにも携わったので、販売戦略も立てられる。それらの経験が会社の求める人材にマッチしていたのではないでしょうか。さらに社長にも、好きな新潟のために企業を再建したいという思いがあって、地域貢献を志す私の思いを評価してくれたのだと思います。

新潟のために。という思いがあった?

はい。都内で様々な経験を積みたいと、何度か転職していましたが、30歳手前になり、このままでいいのだろうか。本当は何がやりたいのだろうか、と考えるようになりました。その答えとして唯一浮かんだのが「新潟」でした。進学・就職で離れて12年。その間、ずっと新潟が好きでした。だったら好きな場所に戻ろう。そして自分を育ててくれた新潟に恩返しをしたいと思い、Uターンを決めました。

再建を任された企業でのことについて聞かせてください

2017年1月に着任しました。私がゼネラルマネージャーという立場で企業再生にあたったのは、明治に創業し、漬け魚を中心に製造・販売を行ってきた老舗の小川屋。新潟の文化をつくってきた老舗を立て直そうと2016年にNSGグループが事業承継することになりました。食品業界は経験したことがなく、当初は正直やっていけるか不安でした。今まで勤めてきた企業は、規模が大きく組織もきちんと体系だっていました。しかし小川屋は、真逆の地方の中小企業。果たして再建できるのか。でも期待をしてもらい任せてもらった手前、しっかり務めなくては…日々プレッシャーとの戦いでした。

その状況をどのように乗り越えたのですか?

社長の葉葺に相談に乗ってもらう中で、過去の失敗談も聞く機会がありました。「老舗の企業再生の実績を積んできた社長でも、そんなことがあったのか」。不思議と心が軽くなりました。今やれることだけにフォーカスしてやろう。そう思うようになってから精神的にも前向きになり、過度なプレッシャーを感じなくなりました。その後、少しずつ自信が芽生えてきたところで、代表取締役社長に就任となりました。

社員と協力して改善を繰り返し、一歩一歩前進

それから様々な取り組みにチャレンジし、試行錯誤している。

そうですね。NSGグループの「失敗に対する許容度の高さ」も後押しをしてくれていると思います。銀行に勤めていた時は、いかにミスをしないかに特化して仕事をしていたので、私にはとても窮屈でした。その点、NSGグループは失敗したことより、チャレンジしなかったことの方が問題。仮にミスなくこなせても、チャレンジがないと注意を受けますからね。

小川屋に赴任して初めて年間の事業報告と次年度計画をNSGグループの会長にプレゼンした時の事です。数字的には赤字で、ヒヤヒヤしながらのプレゼン。私からのプレゼンを聞き終わった会長は開口一番、「君は成長したのか」と。そこで私は、「利益は出せませんでしたが、きちんとした戦略を持って新しい取り組みをスタートさせました」と答えました。すると会長は、「そうか、君は成長している。それでいい」と。普通の会社なら、「業績が改善されていない!何をやっているのだ」と叱責されるところですが、「チャレンジして、一歩でも前に進んでいるなら大丈夫だ。その意気で頑張れ」と励まされたような気がしました。当然モチベーションが上がりましたし、来期はきちんと結果を出す、と決意しました。

うまくいかなくても、その挑戦が経験になり、次に生きる。それがNSGグループの考え方であり、魅力でもありますね。

取り組みが形になってきている?

そうですね。黒字化したというのも当然成果と言えますが、例えば最近変わってきたことがあります。赴任した頃は、お店にも立つし、製造にも関わる、それ以外にも商品開発、販売促進、総務、人事と、私が全ての業務に関わっていました。企業の全体像を把握できたのは良かったのですが、社員は細かなことまで私に判断を仰ぐように。それでは社員一人ひとりが自分の仕事として捉えなくなるし、成長がない。それ以上に、私のキャパがいっぱいになり、判断が追いつかない。そこで、権限委譲して各部署に任せるようにシフトチェンジ。ようやく時間に余裕が出たので、本来の業務である戦略や方針を立てる時間が取れるようになってきました。

仕事のやりがいはなんですか?

お客さまからお褒めの言葉をいただくこと。それがいちばんの励みですね。イベントで店頭に立った時、「あんたが若旦那ね、頑張って」、「お店に来るのが楽しみ」などと声を掛けていただくことがあります。また、カタログに情報誌を同封しています。お客さまとの距離を縮めるためのツールですが、「毎回楽しみにしている」という嬉しいリアクションがあります。仕事で悩んでも、お客さまの声で救われる。その繰り返しですね。

お客さまとの絆を大切にしながら、売上を伸ばす戦略を

小川屋の今後のビジョンを聞かせてください

経営面や運営面では、ある程度土台ができてきました。今後はいかに売上を伸ばしていくか。しかし小川屋の良さは、お客さまとの親密な絆。この関係性を維持したまま、どこまで伸ばせるか。そのためにも、時代にあった新商品の開発や販売チャネルの開拓に注力したいですね。「これまで100年以上の歴史の中で培った方向性はぶらさず、着実に上積みしていく」。それが小川屋の未来ビジョンです。企業再建した意義も、そこにあると思います。老舗の看板を守り、「新潟の味を未来に伝えてほしい」というお客さまの声に応えていきたいですね。そのために、「目の前にあることに集中して、しっかりと結果を出す」。小川屋の発展に全力を尽くしていきます。

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